幹事クリタのコーカイ日誌2005

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1月13日 ● 心配をかけられる喜び。

 家族でも恋人でも友人でもいいのですが、誰でも世の中に数人は本当に親しい人がいると思います。何かあったら守りたいとか力になりたいと思う相手、見返りなど考えずに一途に愛情を注げ、そして向こうも自分がトラブルに遭って困った時にはきっと助けにきてくれるだろうと思える、そんな人。

 しかし、それだけにもし本当に自分に何かあった時はその人に心配をかけたくないとも思います。余計なトラブルに巻き込ませたくはないし、どうせ心配していろいろ言ってくるだろうけど、自分で何とかできるから教えないでおこうと思います。

 例えば病気や事故の時。医者じゃないんだから治せるわけじゃないし、しばらく会わない間に元気になってしまえばいいや、とか。仕事でトラブルになって大変な時も、わからない人にいちいち話すのも大変だし、話したところで解決してくれるわけじゃないのなら、心配かけるだけ無駄だなぁ、とか。

 しかし、そう気遣われている相手にしたら、その気遣いは本当に正解かどうか難しいところです。仕事が大変だったり体調が悪くて辛いのを隠していると、相手がその状況を知っていれば何らかの手助けができるか、できなくても励ましたり見守ったりすることはできますが、何も知らなければ、無神経に傷つけたり、時には余計に負担をかけるような言動を取ってしまうかも知れません。さらに後になって「実はこうだった」なんて言われたら、余計にその時なにもできなかった自分に腹が立ちます。

 大切な人だから心配をかけたくないという気持ちはわかりますが、本当は相手はむしろ一緒になって心配したいのです。辛さを共有し、共に立ち向かいたいと思っています。心配をかけられるというのも、時には嬉しいことなのです。「面倒かけやがって」と言いながらも、そこで頼られたことを喜んでいるのです。

 どんな時でも自分ひとりで何とか解決しようと考えてしまうタイプの人は、それゆえにストレスをより過大に抱え込むことになりがちです。何でもすぐに人に甘えたりするものではありませんが、相手を見て時には頼るのもいいのではないかと思います。特に突っ張って頑張って仕事をしている若い女性は、肩肘を張りすぎて倒れる前に、SOSのサインを出しましょう。楽に生きることは決して悪いことではないのですから。


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