幹事クリタのコーカイ日誌2015

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3月31日 ● コピーライター32年、終了。

 本日をもって新入社員から32年間続けてきたコピーライターをやめることになりました。もちろんフリーランスではなく会社員なので、やめると言っても会社の中での異動です。次は管理部門への異動になるので、これまで培ってきたスキルや経験はあまり生かせないかも知れません。残念ですがサラリーマンである以上、異動は受け入れるしかありません。

 僕がコピーライターになった1983年というのは、「コピーライターブーム」と言われるほど、広告業界に目が向いていた時代でした。特にコピーライターという職業は糸井重里を筆頭に時代の寵児と言われ、若者にとって憧れの花形職業でした。そんな時代によく僕のような大して才能もない人間がコピーライターになれたものだと自分でもその強運ぶりに驚きます。もっともコピーライターブームがピークを迎えようとしていた時に新人だったので、その後はただただ下り坂を転げ落ちていくだけの32年間だったとも言えますけど。

 子どもの頃から文章を書くのが好きで、将来は小説家になりたいと夢見ていたくらいですから、コピーライターになれた時は嬉しさと不安が半々ながら、やる気満々でした。ところが、実際になってみると、そんなスイーツな職業ではないことはすぐにわかりました。それと同時に、自分の才能の限界というのもすぐに思い知らされました。文章を書くのは好きだし、コピーライターとして広告制作の仕事をしていくのも楽しかったのですが、純粋に文章だけで食っていくのは並大抵のことではないとも感じていました。

 入社して数年経ってバブル絶頂期の頃には周りから「フリーになればもっと稼げるよ」と囁かれたことも一度ならずもありましたが、僕は自分の才覚で一生文章で食べていける自信はなかったし、その頃にはもう広告業界は次のステップに入るなという予感もありました。ちょうどパソコン通信を始めた時期で、これは画期的なシステムだ、これが将来世の中を大きく変えると思っていた頃です。

 せっかく世の人に先駆けてPCを買い、ネット社会に飛び込んでいたのですから、そのまま一気にそちらの世界に身を投じていれば、もしかしたら今頃はネット界の大物になっていたかも知れませんが、残念ながら頭でわかっていても動かなければ結果は同じです。コピーライターという仕事が好きで32年もそこにしがみついていたせいで、今さら管理部門に異動になっても大して使えないオジサンになりそうです。だからと言って全然悔いはありませんけど。

 強いて言えば、32年間もひとつの部署にずっといたのに、一切送別会も何もなかったのは残念と言うか、自分の想像と違っていました。会社全体が大きく組織改編をした中での異動なので、動くのも僕だけではないから仕方ないのですが、一言の挨拶もしないまま、ひっそりと異動していくことになろうとは予想していませんでした。ある意味、これはこれでスッキリしていて良いのかも知れません。ベタベタするのは好きではないですし、大げさに送り出されたら照れや恥ずかしさが大きくなりますから。

 コピーライターではなくなりますが、今後も「コーカイ日誌」は書き続けていきますので、これからも変わらぬご贔屓をお願いします。


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