1998年2月前半のコーカイ日誌


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●ゲロの香り。(98/2/15)
 週末下呂に行ってきました。東海地方の人にはお馴染みの下呂温泉。日本三大名泉だそうですが、東海地方以外の人にはそれほど知名度は高くないかも知れません。そこで、ここのお薦めのお土産があります。内容はただのお菓子です。美味しいですけどね、別に解説するほどのものではありません。じゃあ何がお薦めかと言うと、その名前です。その名も「ゲロの香り」。あっ、いやいや失礼、「下呂の香り」です。インパクトあるでしょ(笑)。下呂温泉の名前に馴染みが薄ければ薄いほど衝撃は強いはず。まあ下呂に行けば、当然のことながらこの手のネーミングには事欠きません。もし行く機会があったら、ご自分でいろいろとお探しください。
 なお、これだけではあまりにも情報として寂しいので、もうひとつ。下呂中(ゲロ中毒ではない)の近くに「かばや」というウナギ屋さんがあります。ここは美味しいです。ウナギだけではなく、豚カツも海老フライもお刺身も飛騨牛ステーキもあるんですけど、どれもウナギ屋とは思えないほど美味です。これはマジにお薦めしていますので、「ゲロ」ネタを探しに下呂に行った時にはぜひお立ち寄りください。
●娘の初手作りチョコ。(98/2/14)
 4才の娘がバレンタインデーに向けて手作りチョコを作りました。もちろん母親に全面的に手伝ってもらってではありますが、4才にしてチョコ作りに励むとはねぇ。「女は女になるのではなく、女に生まれるのだ」という言葉通り、本当に女の子は幼くとも「女」ですね。もっとも娘の目的の半分以上は自分が食べるためであって、バレンタインデーも彼女にとっては「よくわからないがチョコが巷に溢れる日」でしかないようですけどね。
 ところで新聞報道によれば今年は義理チョコが減って本命チョコの高級化が進んでいるとか。いいことだと思います。むやみと義理チョコを配るのは、ホワイトデーが普及定着してきた昨今、お返しに頭を悩ますオジサンたちにとっても迷惑でしょう。年賀状同様、心のこもったものなら嬉しいですが、いかにも「仕方なく」という見え見えの義理はお互いのためになりません。どうせオヤジはチョコ貰ってきても娘に食べられてしまうだけだしねぇ。あ、でも義理チョコくらいないと「チョコも貰えない奴」って、娘にもバカにされるかも知れないなぁ。
ラブホテルの適正料金。(98/2/13)
 またまた会社の「ネタテーナー」Mっちゃんの話。以前紹介したように「女にもてる」ためにアウディを購入したMっちゃん。しかし、それによって莫大なローンを抱えてしまったために小遣いは激減、デートの費用も大幅に削らなければならなくなってしまったそうです。まさに「本末転倒」という言葉はこういう時のためにあったのか、という見本。いかにもMっちゃんらしい話です。今や彼はデート費用を節約するために、高い食事に行かないのはもちろん、彼女に残業と偽って遅い時間から会い、食事も酒もすっ飛ばしていきなりラブホテルというような荒技まで駆使しているそうです。
 もちろんそんなMっちゃんだから格安料金のラブホテル情報もしっかり押さえていて、名古屋のラブホテル街では新栄と金山が安く、有松は高いとか。特に新栄には休憩3,200円という格安ホテルがあるらしいのですが、「でもいつも空いていないんだよなぁ」だそうです。さすがに3,200円というのは安すぎるのではないかと僕など思ってしまうのですが、Mっちゃん曰く「高くても4,000円台まで」だそうで、とても最新のアウディに乗っている中年不倫オヤジとは思えません(笑)。
 それにしてもラブホテルの適正料金っていくらくらいなんでしょうねぇ。「シティホテルじゃなきゃイヤ」なんてお高くとまっているお嬢さんはともかく、一般ピープルの場合でも、やはり最低5〜6,000円くらいは払ってもいいんじゃないかと思いますが。名古屋の千早には有名なプール付きの豪華ラブホテルがありますが、そこなど休憩15,000円くらいするらしいです。Mっちゃんに言わせれば「無駄」の一言ですが。確かにすることは同じだからね、1回で15,000円使うよりも3,000円の部屋に5回行く方が男は嬉しいでしょう。でも3,200円の部屋に連れて行かれる女の子はどう思っていることやら。真面目な僕にははかりかねるので、女性の有用な意見、お待ちしています。あ、いや、聞いたところでどうしようとか言う事じゃないっス。本当っス。
●原田らしいや。(98/2/12)
 ジャンプノーマルヒル、1本目でトップに立った原田。リレハンメルの大失敗ジャンプから4年、ついに涙の雪辱、金メダル獲得かと思ったのに・・・またやってしまいました。天気は良かったし風もなかった。2本目、普通に飛べば、原田の力なら、そう思って願うように見ていた日本中のファンの前での失速ジャンプ。銅メダルにも届かず5位。昨日書いたことが現実になってしまい、思わず僕は笑ってしまいました。「原田らしいや」。競技終了後のインタビュー。「いやあ、残念ですねぇ」だって。他人事のように笑う原田。内心の悔しさを表に出さず、たださえ笑っているような困っているような顔なのに、ますます「困り笑い」顔になっている原田。いい奴だなぁ。「こけちゃいました」のマラソン谷口浩美以来のヒットだな。まあいいじゃないか原田。船木が銀メダルを取ったし、少なくとも1本目の原田はトップだったわけだし。実力はみんな知っている。ラージヒルで頑張れ原田。団体だってあるぞ原田。でも負けたっていいぞ原田。金メダルを取らなくても、記録よりも記憶に残るアスリートだ、原田。
●清水金メダル!(98/2/11)
 以前スラップスケートの話題で取り上げた清水宏保選手が見事に500mで金メダルを取りました。ライバルがみな失敗していく中で、1本目・2本目ともに完璧な滑走を見せた清水のスケーティングは見事の一言。自国開催・世界記録保持者というプレッシャーをはねのけての勝利ですから、価値ある金メダルだと思います。清水は身長わずか161cm。「スピードスケート界のT.M.REVOLUTION」という渾名は伊達ではありません、って僕が今つけたんだけどね(笑)。ほんと、表彰台に2位・3位の選手と並んだ時は、まさに『うたばん』で石橋貴明・中居正広と並んだレボレボ状態でした。それで世界のトップですから、いかに清水のロケットスタートと、そのスピードを落とさないコーナリング技術が優れているかわかろうと言うものです。そう言う意味では、レボレボよりも清水の方が「革命的」かも知れませんね。
 さて、今度は日本で最も金メダルの期待が高いジャンプ陣の登場。原田も船木も好調のようですから、後は白馬の気まぐれな風次第とのこと。清水の勝利を追い風(ジャンプだから向かい風か)にして、こちらも大ジャンプで金メダルといきたいものです。でも、リレハンメルに続いてまたもや原田の大失敗ジャンプと言うのも、ちょっと原田らしいな、と思っている底意地の悪いファンもいるんじゃないのかな。だってこれで原田どん底からの復活金メダルじゃあ、安いドラマみたいだもんなぁ。
●学級閉鎖の思い出。(98/2/10)
 小2の息子のクラスもいよいよ猛威を振るっているインフルエンザのために学級閉鎖になりました。息子は元気はつらつなので、かなり得をした気分でいるようです。もしかしたら春休みに補習があるかも知れない、ということには全然気づいていないので完全お気楽モードに入っているようです。平和な奴。
 僕が中学の頃にやはり学級閉鎖になったことがありました。毎日欠席者が増えていき、また朝には先生から必ず「きょう風邪引いている人?」と聞かれるのです。僕は幸いクラスで唯一なんともなかった健康そのもののガキだったので結構この瞬間は自慢でしたね。結局学級閉鎖になったわけですが、健康体の僕は遊びたくて仕方ありません。しかし友達がみんな風邪引いていたので遊ぶこともできず、結局退屈な休日を過ごした僕を待っていたのは、その後猛威が収まった後に引いた風邪と春休みの補習でした。
●老いることを恐れない。(98/2/9)
 昨日でまたひとつ年齢を重ねてしまいました。もう「オジサンじゃない」とは言い逃れできない年齢になってきているわけですが、その割には実感が沸きません。自分が予想していたより精神的にずっとガキっぽいというのは、誰でもいくつの時でもよくある感想なのでしょうが、僕の場合は肉体的にもまだ衰えを感じたことがほとんどないので、余計そう思うのかも知れません。相変わらず夜更かしして睡眠不足でも元気ですし、ゲームなんかして興が乗ると徹夜しています。テニスしていてもパワーもスピードも反射神経も少しは落ちてきたような気もしますが、具体的に数字となって出ているわけではないので、気づかないのを幸い、衰えていないと思いこんでいます。これが100m走とか走り幅跳びとか実際にやってみたら、高校生の頃の数字と比べて愕然とするのかも知れませんが。
 ただ僕は年を取るということは、悪いことばかりではないと思っています。土曜日のテニスの後のお茶会でも、25才になるのにまだ学生をしているSちゃんに、みんなで「社会人って楽しいよ」と洗脳(笑)していました。何となく学生の時って、卒業したらもう中途半端じゃダメだ、フワフワ遊んでいられない、なんて考えがちですが、実は社会人の方が遊べるもんですよね。なにせお金持っているし、宿題もないし、堂々と旅行も夜遊びもできます。恋愛したって自分で責任が取れるし。
 これと同じように、若いうちしか遊べないとか結婚したら遊べない、というのも嘘ですね。人間年を取れば取っただけ、また別の楽しみがあるものです。若い頃ではわからなかった楽しみというのも理解できるようになりますし、新しい世界も広がります。要は気の持ち方。楽しいことをしよう、ハッピーに生きよう、と思っていさえすれば、いくつになっても人生楽しめるようです。日本は消費構造上、若者に迎合した社会になっているので、必要以上に若いことを良いことだと思いこみ過ぎています。定年を迎えて何をしようかとワクワクしている会社のTさんなんかを見ていると、つくづく世の中「楽しんだもん勝ち」。恐れることはないと思いますよ。
●長野五輪開会式。(98/2/8)
 盛り上がらないと心配されたまま開会式を迎えた長野五輪ですが、さすがにテレビ局も新聞も五輪一色となりましたね。この調子なら他に大きな事件が起きない限り日本中がまた浮かれることもできるでしょう。開会式の見どころは、やはり妙なジャパネスク趣味とでも言うか、日本人でも「これが日本なのか?」と思うような演出センスでしょう。さすが浅利慶太、ちょっと、いやかなり変ですが外国人受けはしたのかも知れません。とりわけ変だったのは、聖火点灯のために出てきた鈴木博美と伊藤みどりの衣装。あれは何なんでしょうねぇ。伊藤みどりって知っているのに思わず誰かと目を疑いましたよ。紅白の小林幸子を思い出した人も多いでしょうね。僕も思いましたもん。彼女は悪くない、悪いのは浅利先生でしょう、きっと。
 力士の「プラカード嬢」は、思ったより常識的な範囲で収まっていて安心しました。まわし姿で寒空の中ずっとプラカード持って立たされるのか心配していたのですが。雪ん子に扮した子どもたちは良かったですね。地元の特に盲学校やろう学校の子も同じように登場させたのは上出来です。問題は森山良子だな。閉会式の欽ちゃんといい、どうも大先生のセンスって疑問符だらけです。
 さて、早速アイスホッケー(ドイツ戦、面白かったですね)を皮切りに、他の競技も続々と始まります。単純にメダル予想をすれば、ジャンプで金1銀1銅1、スケートで銀1銅1くらいはいけるんじゃないでしょうかね。これ以上取れれば上出来です。あまりメダルの数にこだわるよりも、マイナーなウインタースポーツをたまにはじっくり見てやろう、という姿勢で観戦しようと思っています。
エレベーター・ボーイの出番。(98/2/7)
 今月で定年を迎えるTさんの送別会の席上。Tさんが担当しているデパートM(と言っても名古屋のデパートは4Mと言われるように全部Mなんですけどね)では、最近従来女性だけの仕事でも「女子のみ」という求人が出せなくて困っている、という話がありました。男女雇用均等法以降この手の話はよく聞きますが、実際エレベーター・ガールは相変わらず女性だけの職場なのです。しかし、と話は盛り上がります。本当にエレベーターの運行は女性でなくては不都合のある仕事だろうか?いやいや、どう考えたって男女の性差は関係ない仕事でしょう。ならばエレベーター・ボーイがいたって一向に構わないわけです。実際、ホテルなんかには時々そういう男性従業員がいたりするわけですからね。さらに、と話は盛り上がります。本来デパートの主たる顧客は女性です。若い女性も年配の女性もいますが、とにかく圧倒的に女性顧客によって支えられていることは間違いありません。ならばエレベーター・ボーイは女性よりも男性の方がお客様には受けるのではないでしょうか?特にジャニーズ系のエレベーター・ボーイを揃えたならば、きっと話題になって女性客を誘引できるはずです。キムタクや反町くんや堂本光一くんのような18歳から25歳くらいのハンサムなエレベーター・ボーイが揃っているデパート。ほら、よだれが出てきたでしょ?これは不況に悩むデパートの一発逆転の手かも知れませんよ。ここに書くにはもったいないくらいのアイデアです(笑)。
 そして、このアイデアが成功すると一気に男性と女性の職域が混沌としてくるでしょうね。接客業に関するタブーが次々とうち破られていくはずです。旅行代理店や銀行などのカウンター業務だって、若くて綺麗な男の子がいた方がいい、という女性客のニーズが高まるでしょうし、化粧品の販売員だって歯科助手だって男性で悪いはずはありません。こうして顔の良い男たちは、次々と「若い女の子」というだけで職を得ていた女性たちから職場を奪っていくわけですが、その反面彼らは若さとルックスの衰えを気にしながらいつかその仕事をリタイアしたりもするわけです。逆に若さだけでは仕事を得られなくなってきた女性は、真の実力を身につけるべく努力をしますから、一生続けられる仕事を見つけるかも知れません。するとエレベーター・ボーイは20代前半のうちは遊ぶだけ遊んで、20代後半にはそういうキャリアのある女性を見つけて、さっさと結婚、専業主夫への道を歩み始めるのです。環境ホルモンによって弱体化している男性と、逆に強くなっている女性たちの動向を見ていると、21世紀早々にはそういう時代が来てもなんの不思議もないでしょうね。
●京都は玄関だけが洋風。(98/2/6)
 取材で京都駅を見に行ってきました。ご存知の方も多いでしょうが、昨年新しくなった京都駅ビルは、日本には珍しいド迫力の建築物です。駅以外にデパート、ホテル、劇場まで入っているこの巨大建築物は、広い吹き抜け、なんだかよくわからないオブジェ、全面ガラス張り、大階段、やたらと多い遊歩道が複雑に入り組んでいて、ハブ空港か魔宮かといった趣です。建築家の遊びと言うかオリジナリティが発揮されまくっていますから、妙に使いにくそうだし、無意味に感じられる場所が多い建物です。
 この京都駅ビル、メリットはとにかく存在感はあること。駅ビルがあれだけ主張しているのは日本はおろか世界でも珍しいと思います。デメリットは無駄ということと、本当にあれが京都の玄関口でいいのか、ということです。無駄が全て悪いわけじゃありません。しかし京都駅ビルの場合は、建築家の自己満足にしか過ぎないんじゃないのか、と思わせるほど非機能的なんです。また古都京都にあの極めて現代的な建物が相応しかったのかどうか、という疑問も残ります。なにせ駅ビルは京都を南北に分ける関所か万里の長城のようにそびえ立っていますからね。どうせなら羅生門のような昔の建築物のイメージで作ってもらった方が親しみやすかったんじゃないかと思いますけど。
●ナイフを持つのは親のせいか?(98/2/5)
 昨日書いた『きらきらひかる』についてテレビ局に抗議が殺到、とか。そら見ろ、やっぱり天城ロケはバレバレじゃい、と思ったらそうじゃありませんでした。ドラマの中でナイフを持った男が婦警の松雪泰子を脅かすシーンがこの時期に不謹慎だ、影響が大きい、という抗議だそうだ。はーん?そりゃ警官をナイフで脅した少年はいたよ。いたけど、それとこのドラマが何の関係があると言うんだ?タイムリーではあるけど、そう言うのって典型的な「過剰反応」というやつだと思いますけどね。
 ところで今回の2つの事件に関して、「ガキがナイフを持つのは親が悪い」「ちゃんと親が叱って聞かせろ」という乱暴な意見が大学生や20代独身者から相次いで聞こえてきます。でも本当に親だけのせいか?そう言って無責任に親のせいにして安心している大学生って、結局橋本首相の政策や長島監督の采配を飲み屋で批判している連中と大差ないことに気づいていないんじゃないか?「橋本が悪い」「長島が悪い」「親が悪い」「そうだそうだ」。そりゃそうやって気勢を上げていれば本人たちは気持ち良いだろうけど、誰もそんな無責任な意見をまともに聞いちゃいないってことに気がつかないんだろうね。親も教師も、もっともっと深刻なんだから。別に人殺しを教えてきたわけでもなく、またその子だけに特別な教育を施したつもりもないのに、なぜかそういう少年が現れる。親と教師が直面しているこの怖さと難しさに対して、無責任に「親が甘やかしているから(もしくは抑えつけているから)いけないんだ」なんてよく言えるよね。
 そもそも10代の子どもたちの趣味嗜好・生活様式・思考パターンに最も影響を与えているのは親か?教師か?いや、僕は友人・先輩じゃないかと思います。特にバタフライナイフが欲しい、なんて類の発想は、多分親よりも身近な先輩からの影響が大きいでしょう。10代の先輩と言えば、まさに大学生諸君のこと。つまり今の20代がこの10代を生んだんだ、ということも考えられるのです。もちろん親も教師も悪いのかも知れない。でも批判だけして関係ないつもりの大学生だって、同罪なんだ。短絡的に「誰それが悪い」と言える事件じゃないから大人は騒いでいるんだ、ということを、若い諸君はもう少し理解すべきでしょう。そうじゃないと、いつまで経っても君たちは「お子さま」のままだよ。
●天城の死体は東京湾にはたどり着かない。(98/2/4)
 昨晩のドラマ『きらきらひかる』。ストーリー自体はまあ良くできていたと思うのだけど、ちょっとロケ地の選び方に疑問を感じてしまいました。東京湾で上がった死体がどこかの温泉で殺されたらしい、ということで、その現場を探しに鈴木京香と松雪泰子が行くのだけど、ドラマの設定上では奥多摩あたりの温泉らしいのですが、実際にロケで行った先が有名な伊豆半島天城の「大滝温泉」。ここは「温泉デパート」の異名をとるくらい多種多様な露天風呂があることで有名な宿で、温泉紹介本などではしばしば取り上げられる超メジャーなところです。僕も10年以上前に一度訪れたことがあります。露天風呂だけで確か30種類くらいあるんですよ。犯行現場となった露天風呂は、その中でも最も有名な滝の前の露天風呂。一目でどこかわかってしまいます。その上、犯人役の山本学が身投げしようとしている向こうには、これまた有名な天城のループ橋。いくらなんでも、これだけ「天城ですよぉ」という場所を選ぶのはちょっとスタッフの見識を疑います。東京タワーが見える場所でロケして「ここは大阪だ」と言っているような間抜けさ加減。天城山中で殺された死体は、決して1日で東京湾に流れ着くことはないでしょう。多分関東地方に大雪とか降った時期の撮影で(先週も大雨で川が増水して、という事件のはずが翌日には大雪になっていたし)、いろいろロケ地選びにも苦労はあったのかも知れませんが、どうもドラマのストーリーよりもあら探しに目がいってしまうので、やはり気を使ってもらわないとね。それとも、そういう僕が意地悪なだけかな。
ぬけたCM。(98/2/3)
 「ぬけた」と言っても、Hな意味での「ぬけた」ではなく、肩の力がぬけた、もしくは表現としてちょっとぬけているCMのことですが。景気が悪くなってモノが売れなくなると、広告もマーケティング主体でついつい肩に力が入り気味。その中でスズキ自動車のCMはちょっとやってくれました。「軽、軽、スズキの軽」という歌が流れる、もちろん『ゲゲゲの鬼太郎』のメロディ。そしてスズキの軽自動車に乗り込もうとしているのは、あのタレント・きたろう。そうシティボーイズの一員のきたろうです。いやぁ、ほんとにダジャレだけの、ほとんど無意味なCMです。でもこのノリの軽さがいかにも軽自動車らしくていいんですよね。難しいこと言わず考えず気楽に乗るクルマという気分が出ています。
 この手のダジャレCMで、何と言っても最近のヒット作は「セガサターン・白」。あの仮面ライダー1号藤岡弘が熱血柔道マンになるあの全力投球的ダジャレCMです。いろいろ批判はあるでしょうが、あれだけ目立つインパクトの強いCMはなかなかありません。僕としてはギリギリセーフって感じですね。それに比べて同じダジャレでもアウトになってしまったのが竹野内豊の「夏いぜ」。もう肩の力どころか全身が脱力してしまいそうなダジャレ。中途半端なんだよね。マジなんだかシャレなんだかよくわかんないから。ちょっとあれはないんじゃないのって感じです。
 ただ最近は広告が面白いからと言って、それでモノが売れるかというと、そんなに甘い世の中じゃないところが困りものです。アサヒビールのスーパードライみたいに広告は全然つまんないのに相変わらず売れ行きは絶好調って商品もあるしねぇ。スズキの軽も、この「きたろう」で急に売れ出すとはとても思えませんが、できたら売り上げに反映されてくれないかなぁ。そうしたら僕たちももう少し軽いノリの広告企画が出せるのに。
結婚式。(98/2/2)
 2月1日は冬とは言え大安の日曜日だったために結婚式が多かったようです。ATCのメンバーであるA達くんとS木さんも、めでたく華燭の典を迎えることができ、僕とY井さん、K林さんの3人が結婚式・披露宴に出席してきました。僕たちの予想通り、新郎のA達くんがカチカチに緊張しているのにも関わらず、新婦S木さんの落ち着いていること。最初から余裕の微笑みを浮かべてA達くんをリードしていました。披露宴になるとさすがにA達くんも落ち着いてきたようで、ごく普通ですが温かい良い感じの披露宴でした。僕のテニスに例えたスピーチも受けたようですし(笑)。ただ新婦お色直しの後のドレスだけは、ちょっと会場列席者をどよめかせました。これは論より証拠、見ていただくのが一番だと思いますので、後日写真ができましたらまたホームページでご紹介させていただきます。あ、なんかまだスピーチ口調が残っているな、このへん(笑)。
 そうそう、ホームページと言えば、披露宴の時にも話題になっていました。新郎が会社で新婦を自慢する時に、いつもパソコンのところに連れていって、ここのホームページのS木さんの写真を開いて見せているというエピソードが披露されていて、ホームページの新しい利用法だと言われていました。これでまた披露宴の写真集をここに掲載したら、ますます新郎の会社からのアクセスが増えそうです。
●お宝になった島村ジョー。(98/2/1)
 石ノ森章太郎と言えば、マンガ家の右代表のような存在でした。手塚治虫の正統な後継者として、奥行きとポピュラリティを兼ね備えた幅広い作品を発表し続けるとともに、マンガ家とマンガというジャンルの地位向上に熱意を燃やす頼もしい作家でした。マンガとして面白かったのは昭和40年代に描かれた作品かとは思いますが、後年の『マンガ日本経済入門』『マンガ日本の歴史』なども、やはりそれなりに意味があった作品として評価されるべきでしょう。
 ところで僕は数年前に仕事の関係で石ノ森章太郎に描いて貰った直筆・島村ジョー(サイボーグ009)を持っています。しかも描いてもらったのが『マンガ日本の歴史〜現代編(1)』の表2(表紙を開いた最初のページ)です。サインだけのつもりが、ジョーまで描いてもらえてしかも僕の名前まで書いて貰ったので、『なんでも鑑定団』に出したら幾らくらいになるのかはわかりませんが、本当に個人的にはビッグな「お宝」です。


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