1998年12月上旬のコーカイ日誌



  モデルクラブの忘年会。(98/12/10)
 いつも仕事で関わっているモデルクラブの忘年会に招待されて出席しました。まだできて2年ほどのモデルクラブですから、それほど大きな事務所でもありませんが伸び盛りの若い子を多く抱えています。招待されているのは広告代理店・テレビ局・制作会社・出版社・カメラマンなど、いわゆる業界関係者。所属しているモデルさんたちがズラリと勢揃いしてお出迎えしてくれました。

 と書くと、いかにも「ギョーカイ」っぽい華やかなパーティが繰り広げられたような感じですが、その実態は全然違いました。なにせ場所がそもそもホテルでもなければ、どこかのお洒落なお店でもなく、モデルクラブの事務所。狭いフロアの中の事務機器を無理矢理という感じで片づけて、そこに申し訳程度の寿司やローストビーフなどと、ポテトチップスに柿ピーナッツ。申し訳程度ですから、寿司などひとかけらも口に入りませんでした。特別な催しもビンゴすらもなく、もちろんお土産もなし。わずかに10数人の招待客がぎゅうぎゅうになって押し込まれています。

 なんの企画もないし、なにせ名札すらありませんから、そこにいるのが誰なんだか全然わかりません。多分この子はモデルだろうな、というのはさすがにわかりますが、招待客なんだか事務所のスタッフなんだかも不明。間がもたないのでモデルが順番にマイクを握って自己紹介し、ついでに招かれた我々もマイクを握らされてスピーチをさせられました。まるで高校を出たばかりで世慣れていないメンバーが仕切った忘年会、いやそれ以下の仕切りの悪さに呆れるというよりも、その素朴さにかえって微笑ましくすら感じてしまったほどです。

 振り返ればバブル真っ盛りの頃に招待されて行った業界関係の忘年会には凄いものがありました。あるアパレルの広報担当者が毎年開いていた忘年会は、アパレル関係者と広告関係者が入り混じるのでやたらと派手なもので、ホテルのパーティルームに200人くらいのお客を集め、自社ブランドの服をビンゴで派手にばらまいて、というバブリーそのもののパーティ。まさにどんちゃん騒ぎの大騒ぎ。モデルの子もたくさんいましたが、今日のモデルの子たちと違って「わたしはモデルよ」という自信に溢れて肩で風切って歩いていました。

 本当に今思えばあの頃は毎日がお祭りのような日々でした。今日の忘年会の地味さ素朴さ加減にしみじみしながら、つくづくあの時代はなんだったのだろうか、と考えてしまいました。そう言えばあの頃のクリスマスは独身男性は大変でしたよね。ブランドもののプレゼントに高級レストランに一流シティホテル。とにかくお金を使って楽しいことなら何でもやるぞ、という日本全体が浮かれていたあの季節。バブルと呼ばれていかにもいけない時代のように言われますが、でも思い出すたびに、ちょっと懐かしいような、くすぐったいような気分もします。
風化する記憶。(98/12/9)
 ついこの前までは、12月8日は真珠湾攻撃による開戦の日と思うか、それともジョン・レノンが射殺された事件の日かをネタにしたものですが、最近はさっぱりそういう話題を聞かなくなりました。パールハーバーはもとより、ジョン・レノンだってとっくに過去の人。今さら話題にしても、ということなのでしょうか。

 そして12月10日と言えば三億円事件。とは言え、これも若い人に聞いたら「???」でしょうね。当時誰でも知っていたこの大事件も実はもう30年も前の話。30代前半までの人は、当時のことが記憶にないわけですから、わからないのも無理はありません。毎年クリスマスが近づくとマスコミが「あの3億円事件から○年」なんてやっていたのに、どんな大事件も時が経てばいつの間にか風化していくのがありありと感じられます。

 それにしても30年前の3億円と言えば、とてつもない大金です。その大金をあの犯人はこの30年間どうしていたのか、非常に興味深いですよね。銀行に預けるわけにもいかなかったでしょうから、あのジュラルミンのケースのまま家の押入にでもしまってあるのでしょうか?バブルの時に、どさくさまぎれに不動産でも買って大損していたら面白いんですけどね。刑事事件としては時効になりましたが、民事の方はどうなったのかな。もし時効になっていたなら、手記でも発表してくれないでしょうかね。売れると思うけどなぁ。なんならweb日記として書いてくれてもいいけど、それでは信憑性に欠けるか(笑)。
テニス雑誌はコップの中。(98/12/8)
 僕は自分が興味を持つと、すぐにその分野の専門誌を買い漁って読み倒すという癖があります。クルマを買おうと思えば10誌、パソコンを買うにも7〜8誌、カメラを買う時も3誌くらいは毎号購入して読み比べてしまいます。で、今わが家に溢れかえっているのはテニス雑誌です。最近の自分のプレーの技術的課題を解決するために、ついついテニス雑誌を買っては読みふけってしまうというわけです。

 そのテニス専門誌ですが、現在5誌が刊行されています。昔からある老舗「スマッシュ」「テニスマガジン」に加えて、昭和50年代後半に立て続けに創刊された「テニスクラシック」「T.TENNIS」「テニスジャーナル」の5誌です。一応各誌それなりにテイストの違いのようなものはあります。堅実でちょっと泥臭い「スマッシュ」、気取っていてスノッブな「テニスクラシック」、ミーハーな「テニスマガジン」、ポップな「T.TENNIS」、理屈っぽい「テニスジャーナル」というのが僕のイメージです。

 ただ正直なところ、どの雑誌を読んでも大した違いはありません。昔に比べて技術解説ページが増えたのも同じなら、組む特集もサービス・ボレー・バックハンドの3つ(初中級者には悩みの種の3大技術です)を中心に適当にローテーションしているだけですし、メンタルトレーニング、ダブルス講座、草トーナメント情報にラケット情報、そしてトッププロのグラビアと情報が少々、と本当に似たり寄ったり。僕も毎月必ず5誌を全部買っているわけではなく、その時々の特集を見て気に入ったものを購入しています。

 それにしてもテニス人口が減って(最盛期の3分の2とも半分とも言われています)テニス番組の視聴率も上がらないこのご時世に、テニス専門誌が工夫もなくこんなに横並びのままでいいのでしょうか?確かに1980年代のテニスブームの頃に比べれば、現在はミーハーファンが減って、実際にプレーを楽しんでいるコアなテニスファンだけが残っているのでしょうから、技術偏重になるのも仕方ないことかも知れません。しかし、小さなコップの中で同じよう雑誌を5誌も作って住み分けているなんて志の低いことをしていないで、どこかの雑誌が思い切って技術解説をやめてテニス文化論を語る「ナンバー」のような雑誌にするとか、逆にシングルスに出るような上級者は切り捨てて、ダブルスばかりやっている初中級者専門誌にするとか、なんらかの差別化を図って欲しいと思います。今のままテニス専門誌がいつまでも外に開いていかないでいては、テニスファンだって増えるはずもありません。コップを捨てて広い外へとうって出るような勇気あるテニス誌が現れないものでしょうかね。
アジア大会開幕、ですが。(98/12/7)
 前回広島大会もそれほど盛り上がったという覚えがないのですが、またひっそりと(?)タイでアジア大会が開幕しました。もちろん本当にコソコソと始まったわけではなく、それなりにマスコミも取り上げていますし、しょっぱなにいきなり女子マラソンで高橋尚子が優勝したのもこれ以上ないスタートでしょう。

 オリンピックではひとけた前半の金メダルしか取れない日本ですが、アジア大会なら中国に置いていかれているとは言え、数十個(前回も64個)の金メダルが乱獲できます。勝ちまくる日本なんて、普通なかなか見られないのですから、内なるナショナリズムを慰撫するにも最適な大会です。

 しかし、とは言えアジア大会はどうしてもマイナー感がぬぐい去れません。オリンピックやサッカーW杯に比べて、いかにも裏通りで行われている感じがします。もちろんそれはアジアという地域のローカル大会で、参加国数も圧倒的に少ないからということもあるのですが、でもこれがヨーロッパ大会だったら、同じ感じがするでしょうか?

 僕はその原因がアジアという概念そのものにあると思っています。「アジアはひとつ」という言葉は、アジアがひとつではない証拠です。そもそもアジアという概念はヨーロッパからの輸入品です。ヨーロッパから見てイスタンブールより向こうは全部アジアね、といういい加減な基準で決められた区割りでしかありません。歴史も文化も民族も宗教も全く違う地域を(中東とインドと中央アジアと東アジアが一緒のわけないよね)単に「東の方」ということでまとめられたって、一体感など期待する方が無理です。その上、日本人は自分たちが名誉白人、名誉欧米国のつもりでいますから、ますますアジアに対する同胞意識は希薄です。これではいくらアジア大会と言われたって盛り上がれるはずもありません。

 そこで提案ですが、どうせやるなら僕は「中華文化圏」で開く方がいいと思います。長年中国文化の影響下にあった日本・韓国・北朝鮮・モンゴル・ベトナム・フィリピン・ラオス・タイ・ミャンマー・カンボジアあたりの国々が参加する大会なら、少しは一体感もあるでしょう。顔が似てるってだけでも全然違うと思いますよ。だからインドは別ですね。インドはインド文化圏、中東はアフリカ北部も含んだアラブ民族の大会を開けばいいんですよ。

 それと最近アジアになっちゃったウズベキスタンとかカザフスタン。あの地域の人たちって、今でも本当は俺たちってヨーロッパじゃん、って思っていないのかなぁ。出向させられた社員みたいに、いつかは本社復帰とか考えていたりして。どうもヨーロッパ人の勝手な思惑でまとめられてしまうのって抵抗感があるんだけど、スポーツ界の人は感じないんですかねぇ。
Jリーグ入れ替え戦の暗さ。(98/12/6)
 初めてのJリーグ一部参入戦が終了、結局横浜フリューゲルスが消滅したために、今季から昇格したばかりのコンサドーレ札幌だけが落ちるという、ある意味しごく当たり前な結果になりました。ジェフ市原のように日本リーグ古河電工時代からの名門チームが陥落するようなことがあればかなり衝撃的かと思いましたが、当初からJリーグに参加していた老舗はみな無事だったということです。

 この入れ替え戦、なにせチームの存亡がかかっているだけに緊張感が日頃の試合とは全然違っていて、手に汗握るような好試合が多かったと思います。下位チーム同士の間延びした試合を日頃見せられていたファンなら「いつもこういう試合してくれよな」と思ったことでしょうし、中には見慣れた組み合わせとなったチャンピオンシップよりも、入れ替え戦の方がいいと思った人も多かったでしょう。

 ただ僕としては、手放しでこの入れ替え戦を面白かったと言うのはちょっと憚られました。と言うのも、結局これはどちらが2部に落ちるのか、という不幸を待ち望んでいる気がしたからです。ローマ時代にコロッセオで決闘させて人殺しを楽しんだような、そういう歓喜よりも落胆を、ドラマなら悲劇を求める陰湿なものを少なからず感じました。

 やはりスポーツというのは、見終わって「よかったなぁ」と感じられるような爽やかさが欲しいと思います。唇を噛みしめていても「次があるさ」と肩を叩いて励ましてあげられるような敗者を見たいと思います。2部落ちしたらそのままチーム消滅か、というような救いのないドラマは見たくありません。Jリーグが上り坂にあった頃なら、この入れ替え戦も「次があるさ」と言えたのですが、現状ではかなり辛いものがあります。今度岡ちゃんを監督に迎える「白い恋人」たちには、果たして本当にまた次があるのでしょうか?北海道の景気もかなり悪いというだけに、ちょっと心配です。
ありがとう30000カウント。(98/12/5)
 このホームページにつけたアクセスカウンタがとうとう30000を超えました。めでたいです。2年前の秋に開設以来、少しずつですがアクセスしてくれる人が増えているようで、10000カウントまで1年余りかかったのに、その次の20000カウントまでは8ヶ月、そして30000カウントには6ヶ月弱で到達しました。通常テニスサークルのホームページなんて、そうそうアクセスが伸びるものではないのですが、最近では着実に毎日50〜100前後のアクセスがありますから、この調子なら40000カウントも来春には達成できそうです。

 ところでカウンタは表紙にしかつけてありませんが、僕のサイトのコンテンツは多岐にわたっていますから、多分それぞれのコンテンツをブックマークして直接来てくれる人も多いようです。特にこの「コーカイ日誌」とか「マンガ時評」はテニスサークルとは関係なく独立したサイトのような感じで読んでいただいているようで、メールも多くの方からいただきます。特に「マンガ時評」に関しては結構時間をかけて丁寧に書いているので、お褒めの言葉をいただくと嬉しいですね。また「温泉情報」「シネマEYE」も秘かに情報源として役立てているようで、時々そういう話を聞くとこれも嬉しくなります。

 テニスサークルのホームページなのに、こういう関係ないコンテンツがいろいろあるのは、ひとつにはテニスサークルの話だけでは更新するようなネタもないのでつまらない、というこちらの都合もありますが、それよりもグリコの「おまけ」みたいに、テニスだけではなくて、他にもおやっと思わせるようなコンテンツがあって「得をした」「楽しめた」と感じて貰えればという願いがあります。ですから、ぜひともこの「コーカイ日誌」だけしか読んでいない方も、一度ホームページをご覧ください。なにか新しい「おまけ」が見つかるかも。
夏八木勲は誰を庇っているのか?(98/12/4)
 いつまで経ってもなかなか真犯人の姿が見えてこない『眠れる森』。予想通り中山美穂の実の父親(?)は夏八木勲でしたが、彼を犯人と決めつけて答えを迫る木村拓哉と夏八木の対決を見ている限り、夏八木は誰かを庇っているとしか見えません。また陣内孝則が夏八木のことを知らなかったところからしても、真犯人は他にいることを示唆していると思われます。

 ただ15年前の陣内が、彼の知っている範囲で真犯人を推理したとなると、やはり陣内が「地獄を見せてやる」のは仲村トオルしか考えられません。婚約者を殺された陣内の復讐が、仲村トオルの婚約者である中山美穂を殺すことである、と考えるのが一番わかりやすいからです。ただ仲村トオルには岡田真澄と一緒に東京にいたというアリバイがありますし(もちろん2人で口裏を合わせているということになるとアリバイは崩れますが)、また仲村トオルを夏八木が庇うというのもおかしな話ですから、陣内が真犯人を勘違いしているという可能性も高いような気がします。

 となると、浮上するのがやはり原田美枝子。岡田真澄のところから失踪した原田美枝子は、夏八木勲と一緒に住んでいた(夏八木の妻も岡田真澄の妻もバニラの香りがする蘭が好きだったという事実が証拠)。その頃、夏八木と中山美穂の母親が不倫したとなると、原田美枝子には市会議員一家殺害の動機が生まれます。夏八木は止めに行ったが間に合わず、辛うじて中山美穂だけは殺されずに済んだ。そこに陣内が現れたので、慌てて裏口から逃げ出す2人。原田美枝子の後ろ姿から、陣内は一緒に逃げた男を仲村トオルだと思った。その後、現場の様子を見に戻った夏八木を担架に乗った中山美穂が見かけたという訳です。

 逃げるときにマリア像に見られた夏八木は罪の意識から後で200万円を教会に寄付。そして事件の記憶を中山美穂から消します。15年後にフラッシュバックによって中山美穂が記憶を取り戻しても、その時には時効が成立しているから原田美枝子は罪に問われない、という考えでした。ただ覚醒時に中山美穂が受けるショックから守るために、木村拓哉を施設から引き取って、中山美穂を見守らなければ、という記憶を埋め込んだ。キムタクは忠実にその催眠による命令に従って15年間を過ごした、という推理です。

 原田美枝子が失踪したのは、実は福島の大学に行った仲村を心配してこっそりついていったのだと考えれば、福島の夏八木と知り合って一緒に住んだのもわかります。同じ福島にいても、仲村トオルには気づかれないようにしていたんでしょう。そして秘かに息子を見守っているうちに、仲村トオルと長女が付き合っていると勘違いした、というのはどうでしょうね?自分の夫(夏八木)ばかりではなく、溺愛していた息子まで奪われると思い込んだ原田美枝子は、家族を守るために市会議員一家を殺しに行ったわけです。

 『眠れる森』も残りあと3回。この推理がどこまで合っているかも、クリスマスイブにはわかります。先週にも書いたように、登場人物がバタバタとこの3回の間に死んでいきそうです。本上まなみ、仲村トオルあたりは当確、ユースケ・サンタマリア、夏八木勲もヤバイですよね。陣内もきっと死にます。じゃないとキムタク暴行事件の責任を取る必要が生じますからね。問題はキムタクと中山美穂のどちらかも死んでしまうかも、ということ。タイトルバックのすれ違う2人を見ると、多分中山美穂かな、死んじゃうのは。
ボーナスの使い道。(98/12/3)
 12月の楽しみと言えばボーナス。この不況でガクンと額が下がっているところも多いのでしょうが、やはりボーナスあってのサラリーマン。多い人はもちろん、少ない人もそれなりに色々と使い道を考えていることでしょう。

 僕の場合はボーナスの主たる使途は住宅ローンと月々の赤字補填、それに預貯金ですから、実際に自分で使える分など貰っている額に比べて微々たるものになってしまいます。まあこれは家族持ちの30〜40代サラリーマンなら誰でも同じことでしょう。わずかに残る自分の小遣い分で何を買おうかな、といろいろささやかな夢を見るわけです。

 普通はやはり趣味に使いたいと思いますよね。周りを見渡しても、クルマを買う、釣り竿を買う、ギターを買う、ラケットを買う、パソコンを買う、CD-Rを買うなど様々です。「買う」奴ばかりなのは、家族持ちの男性の場合、海外旅行に行くとか温泉に行くとか言うのは、趣味ではなく家族サービスになってしまうからで、このあたり独身OLとはちょっと事情が違います。僕の場合も、この冬に家族で温泉に行くとかディズニーランドに行くとかの計画がありますが、これもやはり趣味と言うよりは家族サービスの部類に入れています。行く相手が友達・グループ・血の繋がっていないお姉ちゃん、などの場合は趣味になるんですけどね。

 で、最近ちょっと物欲減退モードの僕も小遣いの使い道をいろいろ考えてみました。クルマは先日車検を通したばかりだし、そもそも予算がはるかにオーバーしてしまうので論外として、オーディオが壊れたままなので安いミニコンポでも買おうか、それともメガピクセル機が安くなってきたので、デジタルカメラにしようかなどと可愛い夢を見ていました。10万円弱くらいなら何とか捻出できそうだからです。

 デジカメもいいけど、もう少し足してiMacなんてのも、なんて考えていてハッと思い出しました。実は夏に買ったB5サイズのノートパソコンを冬のボーナス払いにしていたことを。30万円弱の支払いがまだ丸々残っていたのです。夏に沖縄でモバイル野郎して良い気分になっていましたが、あれからほとんどまともに使っていません。モバイルって面倒なんだもん。なのに30万円。うげげげ、そんな大金残ってないっすよぉ、ということで、ボーナス貰ったのに借金を考えなければならないことに気づいて、すっかりブルー入ってしまいました。ボーナスはやっぱり貰ってから使う方が精神衛生には良いですね。
また太ってしまう師走がきた。(98/12/2)
 夏から秋にかけて、じわじわと増え続けてきた体重が、いよいよ爆発しそうな気配がします。例年一番太る季節がこの年末年始。飲む機会が増え、どうしても高カロリー食が続きますし、運動をする機会は反比例して減っていきます。しかも年末年始の休暇にはつい炬燵に入ってゴロゴロとしてしまうので、もう完全に相撲部屋状態。で、体質なのでしょうが、一度ついた肉がなかなか落ちてくれないんですね。落ちた肉がつくのはアッという間なのに。

 と言うことで、この冬こそ気を引き締めて太らないように気をつけようと思った矢先に、飲み会で腹一杯食べ過ぎてしまいました。幹事と店の連絡がうまくいかなかったせいで、7人しかいないのに10人前の料理が出てきてしまったのです。残すのは貧乏性なので我慢できません。せっせと料理を片づけていたら、いつの間にか腹がはち切れそうになっていました。しまった、今日から食事は極力減らそうと思っていたんだ、と気づいた時にはもう手遅れ状態。またまた人間フォアグラに一歩近づいてしまったのです。

 こうなったらせめて歩いて帰って少しでもカロリーを消費しようと思ったのに、なぜか一緒に飲みに行った人たちと同じマンションなので、ゆっくり2軒目で飲んでからタクシーで帰ってしまいました。全然カロリーを消費していません。このままでは本当にまずい事になりそうです。この冬のダイエットが成功しないと春が怖いですから、もう一度気を引き締めなおして、脂っこい食事を我慢、とにかく歩く、筋力トレーニング、の3点セットに努めたいと思っています。ここで書いておくとプレッシャーになりますからね。有言実行です。
●『歴史で見る世界』。(98/12/1)
 なにもとりたてて見たい番組がない時、たまにNHK教育テレビにチャンネルを合わせてみると、思わぬ出会いがあったりします。月曜日の夜11時15分『歴史で見る世界』という教養番組も、そういう時にたまたま出逢った番組でした。東大の歴史の先生が淡々と、多分普段大学での講義もこうやって喋っているんだろうなと思わせる、ある意味工夫もなにもない語り口で歴史を解説してくれる30分番組なのですが、その淡々とした喋りの裏に、さまざまな人の思惑やドラマが感じられて「ふむふむ、ほーほー」と見入ってしまいました。

 昨晩のテーマは「帝国主義の時代」。帝国主義と言われても、僕の知識などたかだか高校の世界史レベルですから、産業革命で不足した労働力や資源や市場を求めてヨーロッパの列強が植民地獲得競争をした時代だよな、くらいのことでしかありません。番組ではその19世紀末のヨーロッパ列強による帝国主義がなぜ起きたのか、またその結果どのような時代が出現し、さらにそこから次の時代(第一次世界大戦ですが)にどうつながったのかを丁寧に解説してくれました。単に列強の競争が激化したというだけではなく、政治的・経済的・文化的・思想的にどういう影響があったのか、例えば市民権を求める運動が広がり、ベルエポックという市民文化の爛熟期が生まれ、また白人優越思想が強まり、というような事柄を関連づけてわかりやすく教えてくれるのです。

 こういう話って、例えば高校生が聞いても、試験に出るから覚えなければという観点でしか聞いていませんから、全然面白くないでしょうし、大学生であっても、単位が欲しいから聞いているだけだもんね、ということならやはり興味は持てないでしょう。先生は最後に「ともすれば私たちはどうして戦争が起きたのかということだけに関心を持ちがちですが、どうして平和な時代があったのか、ということにもきちんと関心を持って考えるべきだと思います」というようなことを言いました。この言葉を聞き逃さずにその意味を考えられる年齢になっていないと、歴史から世界を学ぶと言っても意外と難しいのかも知れません。年寄りが歴史好きなのも、ちょっと納得できた30分でした。


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